思い出語り
2006年 04月 23日
今日は、うす曇りの一日。
夕方、まだ雪の残った山々が雲の切れ間からのぞいた夕陽に照らされてきれいでした。
週末は、家族の用事や、花や鳥を求めてウロウロしていて、そのまま新しい週が、また始まってしまいます。だから・・・
家事やコンピューターから離れて、静かな時間を持つ時、
動き回ることもやめて、考えることもやめて、好きな風景の見える窓、くつろげる椅子に座って、ただ呼吸だけが繰り返されている、そんな時間。
わずかな時間でも、気が落ち着くように
心がざわざわして落ち着かない今日この頃だから、気をおろし、落ち着かせる。
◆今日、母のところへ用事で出かけて、素敵なものをもらいました。
先日、母の誕生祝いをした際の母からのお返しとして、姉達が準備したものだったようなのですが、私は仕事で行けませんでしたので、今日それ(下の写真のCD)を受け取りました。
姉達(3人います)が、父の介護をし、父の他界後は母の事を何かと世話をしてくれているのですが、写真は以前、母の『旧満州時代の思い出語り』を姉達が録音したものをCDにコピーして、母の若かりし頃の写真を焼き付けたものです。
私は、歳の離れた姉達と違う人生を、しくじりながら歩いてきましたし、今もしくじり中ですが、いつも『あなたが選んだ道でしょ』と言われて、愚痴を言うことも出来ず、今もツッパリ中です(笑)
年老いて来た母を早く安心させたいと思いながらも、なかなか思うようには行かず、本当は顔を見せるのもつらいのですが。。
会いに行くと、笑わせ、喜ばせ、楽しませることだけに専念し、帰ってから、なんだか悲しくなったりしています。
父は、自慢だったのか受け狙いだったのかわかりませんが、私を人に「何か(姉達とは)違う子」と紹介してきました。(実は、どんな人とも違う、おかしな人間なのですが・・・(笑)
私の生まれ育った家族は、私たち娘4人と母と祖母、そして父だけが男という女系7人家族でした。
父だけが男で、きっと居心地悪い思いをいつも抱えていたんだろうな、と最近になってわかるようになりました。
腹立ちの矛先をいつも私に向けてきた父でしたが、最近になって、父の居心地の悪さは私のものと似ていたかもしれないと思うようになったのです。
だから、『何か違う子』と私を表現することは、どこかで『同士』という無意識の何かが働いたものだったのかもしれないと思えるようになったのです。
父との関係を見つめることは、これからの人生のために重要なことでしたが、ずっと避けていました。
by angelglobe
| 2006-04-23 20:33
| フッと・・・