二人静・・・義経への思い

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先日、山歩きの道で、初めて自生の二人静に出会いました。

この『静』は、静御前のことと聞いていましたが、「一人静」は静御前で、それなら「二人静」は義経と静御前かな?なんて勝手に想像していました。

ところが、昨日『二人静』を調べてみると
『名の由来は、謡曲の「二人静」にちなみ源義経の愛妾、静御前と静の霊につかれた菜摘女の艶美な舞を想像してつけられたものです。』

という説明を見つけました。

二人静の花の姿に、静御前とその霊につかれた菜摘女、『二人の静』の舞い姿とを重ねて思うと、
その日陰に静かに咲く姿が、悲しくも愛おしく感じられました。


謡曲『二人静』には

菜摘女が正月七日の神前に供えるため、菜摘川の菜を摘んでいると女が現れて言います。
あまりにわらはが罪業のほど悲しく候へば、一日経書いて、わが跡弔ひて賜び給へと(たびたまえ)
(吉野において、神職の人に伝言をお願い申します。
「あまりにもわたくしの罪業が悲しいことでありますので、一日経を書いてわたしの跡を弔ってくださいませ」

菜摘女が神社に戻り神職に話している時、その声色が変わり、静と名乗ります。

神職は
「さては静御前にてましますかや。静にてわたり候はば、隠れなき舞の上手にてありしかば、舞を舞うて御見せ候へ。跡をばねんごろに弔ひ申し候ふべし。」(静御前でいらっしゃいますか。静御前でいらっしゃいますのなら、舞の上手であったはず、舞を舞ってお見せください。跡を手厚くお弔い申しましょう。

と話すと、

静御前は、この勝手神社に納めた能装束のことを語ります。
「袴は精好(せいごう)、水干は世を秋の野の花尽し」
この能装束を纏い舞い始めます。
しづやしづ、しづのおだまき繰り返し
昔を今に、なすよしもがな。
思い返せば、古も
思い返せば、古も
恋しくもなし、憂き事の、今の恨みの、衣川、身こそは沈め、
名をば沈めぬ武士(もののふ)の、
物ごとに憂き世のならひなればと、思ふばかりぞ山桜、雪に吹きなす花の松風、
静が跡を弔ひ給へ、静が跡を弔ひ給へ。

(思い返してみると、昔の事も恋しくもない。ただ、つらかったことだけが、今も恨みに思われます。
その恨めしい事とは、義経が衣川に身を沈めたこと。
しかし、その身はたしかに沈めたけれど、その武名は沈めはせず、
りっぱな武将として名を残したのでした。
何かにつけて憂いの多いのはこの世の習い、だから仕方のないことと思うばかりなのです。
ちょうど山の桜が松風によって花の雪と吹き散らされるように。
どうぞ静御前の亡き跡をお弔いになってください。)
            ―以上 小学館 日本古典文学全集「謡曲一」より引用しました。―

義経が衣川で自害したと言われる命日は陰暦4月30日。
あるサイトでは、『義経の命日は陰暦ですから、桜の頃というより、皐月や菖蒲の頃ではないか』と書かれていました。(菖蒲は「勝負」、武将の花ともいわれていますね)

桜が過ぎて4月末頃に「一人静」が咲き、そして皐月、菖蒲のこの季節に「二人静」が咲きます。
静御前の義経への思いは、花の姿を借りて、今も語り伝えているのでしょうか。。
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by angelglobe | 2007-05-16 22:08 |